2025年10月に公開された実写映画「秒速5センチメートル」を見て、「なぜ明里は約束の場所に来なかったの?」と疑問に思った方も多いのではないでしょうか。
結論から言うと、実写版では中学1年の冬、吹雪の夜に栃木・岩舟で再会を果たした二人が、雪の中に立つ一本の桜の木の下で「2009年3月26日、またここで会おう」という最後の約束を交わします。そして、18年という時を異なる速さで歩んだ二人が、ひとつの記憶の場所へと向かっていくという設定になっています。
実写版では、アニメ版から大きく改変され、18年後の約束というテーマが追加されました。この記事では、なぜ明里が約束の場所に来なかったのか、そして二人のすれ違いの本質について考察していきます。
1. 実写版で追加された「18年後の約束」の意味
実写版「秒速5センチメートル」は、アニメ版の63分から約2時間の長編映画へと拡大され、物語に新たな展開が加えられました。
⠀ ⠀ 『#秒速5センチメートル』
— 『秒速5センチメートル』映画公式アカウント (@5cm_movie_2025) October 14, 2025
大ヒット御礼プラネタリウムイベント
⠀ ······*﹡開 催 決 定!﹡*·······
〖概要〗
日時:10/21(火)
17:00~17:50受付/17:50開場/18:10開演
場所:多摩六都科学館
登壇予定:#松村北斗 #高畑充希 #奥山由之 監督
🌸詳細・応募はこちらhttps://t.co/TjXWekcOxM… pic.twitter.com/P3ju2dBbb1
中学時代の雪の夜の再会と約束
中学一年の冬、吹雪の夜、栃木・岩舟で再会を果たした二人は、雪の中に立つ一本の桜の木の下で、最後の約束を交わします。「2009年3月26日、またここで会おう」
この約束は、アニメ版にはなかった実写版オリジナルの設定です。中学生の二人が、遠く離れ離れになる前に、未来の再会を誓い合ったのです。桜の木の下での約束は、二人にとって特別な意味を持つ「最後の約束」でした。
18年という時間が意味するもの
時は流れ、2008年。東京で働く貴樹は、人と深く関わらず、閉じた日々を送っていました。30歳を前にして、自分の一部が、遠い時間に取り残されたままだと気づきはじめます。そんな時にふと胸に浮かぶのは、色褪せない風景と、約束の日の予感。
貴樹は18年間、どこかで明里との約束を意識しながら生きてきました。しかし、その18年は二人にとって全く異なる速度で流れていったのです。
明里もまた約束を覚えていた
明里もまた、あの頃の想い出と共に、静かに日常を生きていました。この一文が示すように、明里も約束を忘れていたわけではありません。しかし、18年という時間は、二人の人生を大きく変えていました。
2. なぜ明里は来なかった(または来た)のか
実写版の結末については、まだ詳細が明らかにされていませんが、18年という時を、異なる速さで歩んだ二人が、ひとつの記憶の場所へと向かっていくという描写から、二人の再会の可能性が示唆されています。
アニメ版との対比で見る「来る/来ない」の意味
アニメ版では、中学時代に貴樹が大雪の中、約束の時間を大幅に遅れて岩舟駅に到着した際、明里は待っていました。しかし最終章では、大人になった二人は踏切ですれ違い、明里は立ち止まりませんでした。
実写版で設定された18年後の約束は、この「待つ/待たない」「来る/来ない」というテーマを、より直接的に描くための設定だと考えられます。
「異なる速度」で生きた二人
明里は貴樹が鹿児島に引っ越してしまうということで自立しなければならないという気持ちから、自分自身を成長させ、過去と決別し、しっかりとした女性へと成長し、婚約相手まで見つけることが出来ました。対する貴樹は明里と最後に会い、桜の木の下でキスをした特別な夜のことがずっと忘れられないままに過去に縛られたまま、成長することが出来ずにいました。
映画のキャッチコピー「どれほどの速さで生きれば、きみにまた会えるのか」が示すように、貴樹の成長スピードは明里と比べて非常に遅く、二人の人生の速度は大きく異なっていました。
約束の場所への「向かう」という描写
交わらなかった運命の先に、二人を隔てる距離と時間に、今も静かに漂うあの時の言葉。――いつか、どこかで、あの人に届くことを願うように。
実写版の公式サイトでは、二人が約束の場所へ「向かっていく」と表現されています。これは、実際に会えるかどうかではなく、約束に向き合う二人の姿勢を描いていると解釈できます。
明里が来なかった/来た理由の考察
もし明里が来なかったとすれば、それは彼女がすでに新しい人生を歩んでおり、過去の約束に縛られない選択をしたからでしょう。アニメ版と同様、明里は結婚(婚約)しており、過去を思い出として整理し、新しい人生に向かって進んでいます。
逆に、もし明里が来たとすれば、それは約束への誠実さと、貴樹への想いの片鱗が残っていたことを意味します。しかし、来たとしても二人が結ばれるわけではなく、むしろ過去との決別のための再会になる可能性が高いでしょう。
3. まとめ
実写版「秒速5センチメートル」における「なぜ明里は来なかったのか」という問いは、単純な「来た/来ない」という二択ではなく、もっと深い意味を持っています。
実写版で追加された18年後の約束は、中学一年の冬、吹雪の夜、栃木・岩舟で再会を果たした二人が、雪の中に立つ一本の桜の木の下で交わした「2009年3月26日、またここで会おう」という最後の約束です。この約束は、アニメ版にはないオリジナル要素として、物語に新たな深みを与えています。
二人の「異なる速度」が、この物語の核心です。18年という時を、異なる速さで歩んだ二人は、同じ約束を胸に秘めながらも、全く異なる人生を歩んでいきました。明里は前を向いて新しい人生を築き、貴樹は過去に縛られながら生きてきた。この対比が、「来る/来ない」という選択に直結しています。
約束の本質は、実際に会えるかどうかではなく、交わらなかった運命の先に、二人を隔てる距離と時間に、今も静かに漂うあの時の言葉そのものにあります。約束は二人を繋ぐ絆であると同時に、乗り越えるべき過去でもあるのです。
アニメ版では、13歳の雪の日の別れ際、明里はこの別れが2人の恋の終わりだと感じ取っていたはず。「貴樹くんなら大丈夫」というエールには、「私がいなくても」という意味が含まれていたと解釈されています。実写版でも、この本質は変わらないでしょう。
明里が約束の場所に来たかどうかは、映画を実際に見なければ分かりません。しかし重要なのは、18年という時間を経て、二人がどのように過去と向き合い、未来へ歩き出すのかという点です。
実写版は、大切な人との巡り合わせを描いた、淡く、静かな、約束の物語として、アニメ版とは異なる形で、時間と距離と約束の意味を問いかけています。
映画を見た後、あなたは「明里は来るべきだった」と思うでしょうか。それとも「来なくて正解だった」と感じるでしょうか。その答えこそが、あなた自身の「秒速5センチメートル」なのかもしれません。
コメント