朝ドラ「ばけばけ」のヒロイン・松野トキのモデルは、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の妻である小泉セツ(節子)です。明治時代に困難を極めた国際結婚を成し遂げ、夫の文学活動を陰で支え続けた彼女は、実は日本文学史に残る重要な役割を果たした女性でした。1868年(慶応4年)2月26日に松江で生まれ、1932年(昭和7年)2月18日に64歳で亡くなるまでの波乱に満ちた人生は、まさにドラマそのものと言えるでしょう。
これまでちょくちょく朝ドラを見ていた私にとって、「ばけばけ」で描かれる小泉セツという人物について詳しく知りたくなりました。調べてみると、彼女はただの「文豪の妻」ではなく、日本の古典文学を世界に紹介する重要な橋渡し役を務めた、まさに隠れたヒロインだったのです。
1. 小泉セツの生い立ちと家族背景
名門士族の家に生まれるも明治維新で没落
小泉セツは、1868年2月26日に島根県松江市で小泉家の次女として生まれました。父・小泉湊(八代目弥右衛門)は出雲松江藩に仕えた武士であり、小泉家は出雲国造の千家家とも縁戚関係にある上士の家柄でした。しかし、明治維新を境に家禄を失い、次第に貧しい暮らしを強いられるようになります。
養女として過ごした幼少期
セツは生後まもなく、子供がいなかった親戚の稲垣家の養女となりました。武家の礼儀作法や日本の伝統文化を重んじる家庭環境のもとで育ち、和歌や書道など、女性に必要とされる教養を身につけながら成長します。明治時代に入っても地方ではまだ伝統的な生活様式が色濃く残っており、セツは厳格なしつけのもとで育ちましたが、松江の豊かな自然と共に伸び伸びとした一面もありました。
物語好きの少女時代
幼い頃から物語を聞くのが好きだったセツは、周囲の大人たちから伝説や民話を聞いて育ちました。やがて自らも人に物語を語ることを好むようになり、この「語り部」としての才能が後に夫となる小泉八雲の文学活動に大きな影響を与えることになります。勉強が好きで優秀でしたが、家族のため泣く泣く進学をあきらめ、機織りをしながら一生懸命に家計を支えるという苦労の多い少女時代を過ごしました。
2. 小泉八雲との運命的な出会いと結婚
住み込み女中としての出会い
1891年、セツが23歳の時、家族を養うために英語教師として松江に赴任してきたラフカディオ・ハーン(後の小泉八雲)の家で住み込みの女中として働くようになりました。これが二人の運命的な出会いでした。当時の八雲は41歳で、18歳の年齢差がありましたが、共通点があったのは「怪談話が好き」ということでした。
「ヘルンさん言葉」で結ばれた夫婦
八雲は生涯にわたって日本語を流暢に話すことができず、セツも英語を解さなかったため、二人の意思疎通は片言の日本語によってなされました。これが「ヘルンさん言葉」と呼ばれる二人だけに通じ合う独特の言葉で、現在も小泉八雲記念館には、セツからハーンへの手紙がカタカナの「ヘルン言葉」で残されています。
当時としては困難を極めた国際結婚
セツが八雲の家に女中として住み始めてからおよそ半年後、八雲は同僚との旅行中に、旅先の稲佐の浜へセツを呼び寄せ、翌月には友人に宛ててセツとの結婚を知らせる手紙を送っています。1896年には正式に結婚し、ハーンはセツの戸籍に入夫する形で日本国籍を取得して「小泉八雲」となりました。当時としては外国人との国際結婚は非常に珍しく、周囲の目も少なからずあったことでしょう。
3. 「再話文学の語り手」として夫を支えた生涯
八雲文学の陰の功労者
小泉セツは単なる文豪の妻ではなく、「再話文学の語り手(リテラリー・アシスタント)」として、小説家・小泉八雲の執筆活動を支えました。東京帝国大学文科大学で小泉八雲に師事していた英文学者の田部隆次は、夫人である小泉セツの語りがもとになっている作品を数多く列挙しており、セツの語りなくして生まれなかった名作が数多く存在します。
『怪談』誕生の裏側
中でも二人の共同作業による最高作品と呼ばれるのが、小泉八雲の最晩年である1904年(明治37年)に発表された小説『怪談』です。「耳なし芳一」「雪女」「ろくろ首」「むじな(のっぺらぼう)」といった日本に古くから伝わる口承の説話を記録・翻訳し、世に広めた作品の多くは、セツが語った昔話や怪談がベースになっています。セツは夫のために家族・使用人・近隣住民に話を聞き、本屋を何軒も周って資料集めに奔走しました。
13年8か月の結婚生活
セツの64年の生涯を見ると、夫とともに過ごしたのは13年8ヶ月でした。それはハーンに出会うまでの23年、夫没後の27年に比べると短いですが、おそらく彼女が最も生き甲斐を感じ美しく輝いていた時期だったでしょう。松江から、養父母を連れて熊本、神戸、東京と移り住み、三男一女に恵まれ、夫婦は生涯仲良く暮らしました。
夫の死後も続いた功績
1904年に八雲が54歳で亡くなった後、小泉八雲は生前から遺言状に遺産は全て妻に譲ることを明言していたおかげで、セツは西大久保の家や書斎を生前のまま残すことができ、裕福な暮らしをしながら子供たちを育てました。1914年(大正3年)には八雲との思い出をまとめた「思い出の記」が田辺隆次が著した「小泉八雲」に収められて出版され、これによって八雲の人物像や創作過程が後世に伝えられることになりました。
まとめ
朝ドラ「ばけばけ」のヒロイン・松野トキのモデルである小泉セツは、明治時代の激動期を生き抜いた一人の女性として、そして日本文学史に残る重要な功績を残した人物として、私たちに多くのことを教えてくれます。
士族の娘として生まれながら明治維新により没落し、家族を支えるために働きながらも、運命的な出会いによって国際結婚を果たし、夫の文学活動を支え続けた彼女の人生は、まさに「化ける」「変わる」という「ばけばけ」のタイトルに込められた意味を体現したものと言えるでしょう。
これまでちょくちょく朝ドラを見てきた私にとって、セツという女性の生涯を知ることで、「ばけばけ」への期待がさらに高まりました。髙石あかりさんがどのように松野トキを演じ、この美しい国際夫婦の愛と創作の物語をどう表現してくれるのか、2025年9月29日の放送開始が今から楽しみです。困難を乗り越えて新しい形の夫婦愛を築いた二人の物語は、現代を生きる私たちにも多くの示唆を与えてくれることでしょう。
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