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あんぱんなぜ手塚治虫からやなせたかしに電話かかってきたの?

手塚治虫からやなせたかしに電話がかかってきたのは、1960年代後半、手塚が制作していた大人向け劇場アニメ映画『千夜一夜物語』(1969年公開)のキャラクターデザインと美術監督を依頼するためでした。手塚は当時、自身の虫プロダクションで世界市場を狙った大人向けアニメーション映画を制作する野心的なプロジェクトを進めており、そのために”色気と詩情”を持ち合わせた独特の絵を描ける人物を探していました。やなせたかしの作品に見られる「かわいさと毒が同居する独特の画風」と「エロチズムを感じさせる表現力」が手塚の目に留まり、直接電話をかけて依頼に至ったのです。

目次

手塚治虫が『千夜一夜物語』でやなせたかしを選んだ理由

大人向けアニメ制作への野心的な挑戦

1960年代後半、手塚治虫は子ども向けアニメとして成功した『鉄腕アトム』や『ジャングル大帝』の実績を背景に、新たな挑戦として大人向けのアニメーション映画制作を企画していました。この『千夜一夜物語』は、日本初の「大人のためのアニメーション映画」として位置づけられ、「アニメラマ」という新しいジャンルの創設を目指していました。

手塚は当初ヨハン・ファウストの映像化を企画し、メフィストフェレスを女性とするなどのアイデアも出されたが、同時期にリチャード・バートン、エリザベス・テイラー主演の『ファウスト悪のたのしみ』が公開されることとなり取り下げられたという経緯があり、最終的に『千夜一夜物語』(アラビアンナイト)を題材とすることに決定しました。この作品には性的表現やエロチズムを含む内容が予定されており、従来のアニメーション制作とは全く異なるアプローチが求められていました。

やなせたかしの画風に見出した可能性

手塚がやなせたかしに注目した最大の理由は、大人向けの漫画を描いていたやなせたかしさんのエロチズムを感じさせる画風を手塚治虫さんが気に入り、白羽の矢が立ちましたことでした。当時のやなせは、現在の『アンパンマン』のイメージとは大きく異なり、当時の漫画や詩集、画集の女性は憂いを帯びた大きな瞳で上目遣いをしていたり、ミステリアスな表情をしていたり、色気を感じさせるものが多く見られますという特徴的な作風で知られていました。

また、やなせたかしさんの持つ自由な発想や独特なキャラクター造形、そして作品に込められたメッセージ性も評価されていましたという点も、手塚の判断に大きく影響したと考えられます。手塚は単なる技術的な巧さではなく、やなせの持つ独創性と表現力に着目していたのです。

電話の内容と、やなせたかしの当初の反応

突然かかってきた手塚からの電話

ある日、電話が鳴った。『もしもし、やなせさん、手塚治虫です』『あ、どうも』『実はね、今度虫プロで長編アニメを作ることになったんですよ』『はあ、大変ですね』『それで、やなせさんにキャラクターデザインをお願したいんです。ひきうけていただけますか』『いいですよ』『それじゃね』だいたいこんな風な会話だったと、やなせたかし自身が著書『アンパンマンの遺書』で回想しています。

この電話でのやりとりは非常にシンプルで、やなせは深く考えることなく引き受けてしまったと述べています。しかし、手塚治虫はそのころはすでに漫画の神様に近く、名声も確立して収入は僕のX倍もあったが、ぼくとはまったく世界がちがったから、ほとんど関心はなかったという状況だったため、最初は冗談だと思っていました。

イタズラだと思った理由

最初は、手塚治虫のイタズラだと思ったそうです。同じ「漫画集団」に属していたので面識はありました。が、「鉄腕アトム」「火の鳥」「ジャングル大帝」「リボンの騎士」など数々のヒット作を世に出し、自身の虫プロダクションでテレビアニメ作品も制作していた手塚は、おなじ漫画家ではあるものの、住む世界が違う人間、と思っていましたというのがやなせの正直な気持ちでした。

それなのに何故ぼくに電話してきたのか。わけが分からない。漫画家は冗談が多い。これは手塚治虫の冗談だと思って、すっかり忘れていた。ところがある日、また虫プロから電話がかかってきたということで、虫プロのプロデューサーから正式な連絡があって初めて、本当の依頼だったことを理解したのです。

この出会いがアンパンマン誕生に与えた影響

キャラクターデザインの才能開花

『千夜一夜物語』の制作過程で、やなせたかしは自分でも気づいていなかった才能を発見しました。仕事を続けているうちに、ぼくはキャラクター・デザインというのはいくらか自分に向いているのではないか、と思うようになった。シナリオを読んでいると、いつのまにかその人物が、ぼくの頭の中で生命のある実像に変化していくと、やなせ自身が語っています。

この経験が後の『アンパンマン』創作に直結することになります。キャラクターに生命を吹き込む技術と感覚を、『千夜一夜物語』の制作を通じて身につけたのです。また、アニメーション制作の現場を体験することで、動くキャラクターを意識したデザインの重要性も理解しました。

フレーベル館とのつながり

『千夜一夜物語』の成功により、やなせはその後『やさしいライオン』というアニメ作品の監督も担当し、この作品が「毎日映画コンクール」の大藤信郎賞を受賞しました。この作品をきっかけに、やなせはフレーベル館との繋がりが濃くなります。フレーベル館は、幼児向け絵本や教育図書を数多く出版している出版社。後に『あんぱんまん』の絵本シリーズを刊行することになる大切なパートナーです

つまり、『千夜一夜物語』→『やさしいライオン』→フレーベル館→アンパンマン、という”連鎖の物語”がここでつながったのです。手塚治虫からの一本の電話が、最終的に国民的キャラクター『アンパンマン』の誕生につながる重要な転機となったのです。

まとめ

手塚治虫からやなせたかしへの電話は、単なる仕事の依頼を超えた歴史的な出来事でした。1960年代後半という時代背景の中で、手塚が大人向けアニメーション映画『千夜一夜物語』の制作において、やなせの持つ「エロチズムを感じさせる独特な画風」と「自由な発想力」に着目して直接依頼したことが始まりでした。

最初はイタズラだと思ったやなせでしたが、この仕事を通じてキャラクターデザインの才能を開花させ、アニメーション制作の世界に足を踏み入れることになりました。そしてこの経験が、後の『やさしいライオン』制作、フレーベル館との関係構築、そして最終的には『アンパンマン』の誕生という一連の流れを生み出したのです。

手塚治虫という「マンガの神様」からの一本の電話が、やなせたかしの人生を大きく変え、日本のアニメーション史にも重要な影響を与えた出来事として、今も語り継がれています。朝ドラ『あんぱん』でも描かれるこの史実は、創作活動における出会いと機会の重要性を示す感動的なエピソードといえるでしょう。

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